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木の家とやわらかな住まい

2022.2.18

 

 

様々なスタイルがある「家」ですが、この家というのは気候風土と長い生活の積み重ねのなかから生まれてきた文化の産物なので、土地と切り離して考えたのでは意味がありません。

ヨーロッパで有名な家や建築がどんなに素晴らしくても、日本の風土のなかにそのまま移したのでは条件が合わないことがあり、和風の家や建築がいかに美しくても、ヨーロッパに建てた場合は住みにくいことがある、ということです。

今回はこの「家」についてお話を進めていきます。

 

 

 

日本家屋の特徴


 

 

日本は雨が多いことから家屋の屋根が大きいことが特徴で、すっぽりと笠をかぶったような形をしています。

古代の日本は、なにごとにおいても中国の文化を採り入れながら自国のものに昇華してきましたが、土間から履き物のまま屋内に上がりこむ生活だけは取り入れることはなく、地面から一段高いところに板を張ってそこで生活するようになりました。

そしてこの板の間を四方に延ばして「縁」にしました。

縁とは家の「へり」の意味ですが、そこには雨がかかるため、縁先に立てた柱を支えにして軒をかけ、さらにその先に濡れ縁をつくったのです。

軒は深くなるのでなるべく軽く作らねばなりません。

そこで小丸太や竹を使って重みを減らしました。

つまり家の形は中心部に畳を敷いた座敷があって、そのまわりを縁側がとり囲み、さらにその先に庭と接触する濡れ縁があるというスタイルができあがったのです。

中心の座敷は人間が座る静かな場所で、縁側は通行するところ、屋外は活動の場という区分けがあり、家は中心部に向かうほど静、外に向かうほど動というように、中心から外に向かって、静から動へのぼかし模様がつくられていることになります。

座敷と座敷との間の仕切りは軽いふすまなので、夏になってそれをはずすと、風は自由に通り抜けます。

日本のように夏が蒸し暑い国ではこれが何より重要で、畳の上をすべって吹き込む風は天然の冷房の効用があります。

高い窓から入ってくる風ではその効果はありません。

伝統の和風住宅では、ふすまと障子をはずすと、何本もの柱で支えられた屋根だけが残ります。

この構造は通風を考えてできた生活の知恵です。

「住まいは夏を旨とすべし」という兼好法師の有名な言葉がありますが、風通しのよさからいえば、これ以上都合のよいつくり方はありません。

京都の町屋では間口が狭く、奥行きが深く、左右は隣家とくっついているため、風はいやおうなしに家を縦断します。

つまり家全体が風のトンネルになるわけで、それに都合がよいように、部屋と部屋とのつながりには壁がありません。このように風の吹き抜けに合わせてつくられた家は、世界的にみても珍しいものです。

 

日本家屋が求めたもの 


 

 

伝統的な日本の家は、どの部屋を何の目的に使うというように固定していません。

ただ八畳や六畳といった四角い部屋をタテヨコにつないで、そのまわりをぐるりと縁側でとり巻いたものでした。

部屋の中での立ち居ふるまいは全く自由で、どこに座ろうと寝転がろうと自由です。

部屋ごとのプライバシーなどはほぼありませんが、そういう住まい方が出来たのは、住む人同士の間にあるルールが存在していたからです。

そこから日本独特の礼法が生まれ、茶道や華道を芽生えさせるもとになりました。

部屋には定員がありませんが「ご順にお詰めを願います」という無言のルールのもと、混乱は起きませんでした。

他人を思いはかる「やわらかい住まい方」が、おのずから身についていたのです。

 

 

西洋家屋の特徴と窓の認識の違い


 

 

一方西洋の家は、周囲を厚い煉瓦の壁で囲んでその内側に部屋を並べ、中心部に動的な廊下やホールをおきました。

内から外に向かって、動から静へという遠心的な配置になっていて、日本の住宅とは正反対のぼかし模様です。

厚い煉瓦壁の家は耐久性も強く、彼らはこれを「不動産」と呼びました。

日本の家は木造なので腐る、燃えるなどがありえます。

全体がいわゆる消耗品的なつくりで、耐久性も石や煉瓦より短いのですが、西洋からの翻訳でどちらも同じように不動産と呼んでいるのはある意味で日本的です。

西洋の暮らし方は、椅子、テーブル、ベッド、ソファというように、さまざまな道具を使います。

日本式の「ノーファニチャー」な考え方とは対照的です。 

厚いレンガで囲まれた部屋には空気抜きが必要です。

そこで壁に穴をあけました。その風穴が「ウィンドウ」です。

日本の「マド(窓)」というのは、二本の木の柱の間が「マ(間)」で、そこに入れた薄い建具が「ト(戸)」、そこから出てきた言葉で、正確には全面開放を意味します。

西洋の「ウィンドウ」とは本質的に違うものなのです。

 

日本人が言葉と住まいに求める「やわらかさ」


 

 

日本では軒先や縁側という「どっちつかず」の空間があって、インテリアとエクステリアの輪郭線がぼけています。

「家庭」という言葉はそういうイメージを背景にして生まれて来た言葉のように思います。

その意味は家(ハウス)庭(ガーデン)と考えるとすれば少し違います。

なぜなら「ガーデン」とは本来、ヨーロッパの宮殿のように、見渡す限りの広大な自分の敷地を指すものであるので、日本の庭とはまったく違います。

家庭の「庭」とは、家のまわりの軒先や縁側のような薄い空気層の意味だと思われます。

とすれば家庭とは、まさに日本的な住まい方を背景にして生まれた言葉です。

同じことは人間という言葉にもあてはまります。

人間とは人と人との間の空気までを含んだ概念です。

中国には人体という言葉はありますが、人間という概念にあてはまる言葉はないそうです。

人体はボディそのものなので輪郭が明瞭ですが、人間のほうはそのまわりに何か他の空気層がまつわっているため、輪郭が漠然としています。

これは明治のはじめにつくられた言葉だといいますが、いかにも日本的です。

こうした言葉が生まれたということは、日本人は人工的なもので描いた線よりも、鉛筆や筆で書いた線のほうが好きらしいということです。

それが家庭の「庭」であり、人間の「間」です。

日本人は感覚的に輪郭線をぼやかすことにより、言葉や住まいに柔らかさを求めているのかもしれません。

そのため、住まいに使う材料も鉄や石のような鋭利で冷たく、硬いと感じるものではなく、「木」を選んだのでしょう。

 

参考文献 鹿島出版会 小原二郎著書「木の文化」

 

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