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木挽き"について"

2017.9.14

木挽き、という言葉をご存知でしょうか。

「コビキ」と読み、その名の通り「木を挽く」ことです。

板をつくることでしょ?聞いたことはあるよ、という方も多いでしょう。

もしくは家具蔵も店舗を構える銀座に「木挽町」があるな、という方もあるはず。

東京都中央区銀座東部の旧町名で、江戸時代、木挽き職人が多く居住したことからつけられた地名です。

今回はその「木挽き」についてご紹介します。

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木挽きとは

木挽き(こびき)とは、大鋸(おおが=大きいノコギリ。大鋸屑(おがくず)という言葉はここからきています)で丸太を材木にする仕事です。

製材が機械化されるまでは、いわゆる木挽き職人たちが、太い原木から柱、板、棟木、化粧材と、ありとあらゆる材木を大鋸一丁でとっていました。

木挽きという職業は、室町時代からだと言われています。

それまで木の繊維に対して直角に挽く横挽き用の鋸はありましたが、室町中期に中国から縦挽き鋸が伝わるまで、繊維と平行に挽く、いわゆる大鋸と呼ばれる縦挽きの鋸はありませんでした。

やがて大鋸が伝えられてからというものは、日本の製材技術が大きく進歩していったのです。

鋸が普及する前、その昔はどうやって丸い木から柱や板を取っていたかというと、実は切るのではなく割っていました(これを「割木工」といいます)。

斧で伐りだした木に楔(くさび)を打ち込んで粗割りし、表面を手斧や槍鉋で削ってきれいにしていたのです。

この当時は今の大工さんが使う台鉋もありませんでした(台鉋も大鋸と同じ時期に使われ出しました)。

ですから、昔は木挽き職人達が大勢いて、彼らは市民の生活に無くてはならない存在だったのです。

 

大鋸の出現による製材技術の変化

欅(ケヤキ)は現代でも街路樹などとして植えられていて、日本人にはたいへん馴染みぶかい樹木です。

箒を逆さまにしたような樹形の落葉広葉樹で、これを建築用材や家具材に使えば丈夫なうえに木目が美しいことから長い間重用されているのですが、杉や檜などの針葉樹に比べると硬く重いのが特徴で、楔(くさび)を入れても思うようにきれいに割れず、その昔、割木工に頼っていた時代には、扱いづらい木でした。

さらに重量もあることからで運搬のために筏(いかだ)にすれば沈んでしまうことも手伝って、当時の技術ではなかなかに手ごわい材だったようです。

そんな中、仏教が伝わってまもなく、西日本では大きな寺社仏閣が建立されるようになりました。

当然、太い木がたくさん必要になるなか、中世後期に大鋸が出始めたのをきっかけに、それまで扱いにくかった木も、用途に合わせ大量に使われるようになりました。

そうして、大鋸の出現にあわせて木挽きも増えていったのです。

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材木屋のルーツは木挽き

関西での寺社仏閣の建立によって増えた木挽き達は、その後、全国の寺社仏閣の建立に伴い日本中に広がっていきました。

けれども仕事が定期的にあるわけではなく、一つの神社が出来ると次の注文がくるまでは長い間仕事が無くなってしまいます。

そこで自分の家の前に大木を運んできては挽いて、柱や板材にして軒に立てかけて小売りをするようになったのです。

これが広まり、木挽きを数人集めて木を挽かせ、自分は原木の買い付けと材木の販売に専念する人も現れました。

これがいわゆる材木屋のはじまりです。

ですから材木屋のルーツは木挽きというわけです。

 

木挽きの現在

昭和の初期は、いわゆる江戸木挽きといわれる職人が今の新木場一丁目近辺に約300人いて、いろんな木を製材していました。

しかしながら機械製材が一般化した今では、大鋸を使う職人は、もはや全国で10人にも満たず、残念ながら失われつつある技術といわれています。

木といっても材質や値打ちは様々で、銘木と呼ばれる高価な木になると、本来は機械にかけて製材することはその木の魅力を損なうことになってしまいます。

何故かというと、銘木と呼ばれる木は杢(もく:木目のこと)が美しく、その杢の色艶の決め手は脂(あぶら)、つまり樹脂なのです。

製材機というのは、刃を高回転させて能率良く木を切る道具ですが、こうした色艶や杢が命の銘木は、製材機にかけると大事な樹脂が熱で溶けたり焼けたりして台無しになって、せっかくの模様が摩擦熱でぼけて艶も変わってしまうのです。

家具蔵の家具づくりが「手仕上げ」にこだわる所以はここにも関係しています。

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今も生きる木挽きの技術

木挽きの木を挽く技術は段々と失われつつあります。

しかしながら、それ以上に重要な技術である「木を読む」ということは脈々と受け継がれています。

木を読むとは、どこをどう挽けばいい杢が出るのか、そして材を無駄にしないように出来るのか。

長い年月をかけて育った木を1mmも無駄にしたく無いと思う気持ちは、原木から無垢材家具を作る私たち家具蔵も同じです。

木口(丸太の両端部:年輪が見えるところ)を見て、皮を剥いた木肌や節を見て、その木の内部にある杢をだすために木を読み、墨かけする。

そうして製材された材から作る家具は木目もデザインとして作られ、木材になってからも木を生かし続けることが出来るのです。

このコラムを読んで、初めて「木挽き」という言葉を知った方もあるでしょう。

昔は当たり前であった木の文化が、段々と失われていくことは、非常に寂しいことです。

私たち家具蔵は、工場直営の無垢材家具店として、木の文化を守り、職人の技術を継承していきたいと考えています。また、このようなコラムを通じて、皆さんに日本人と木の密接な関わりを少しでも知ってもらえたら嬉しく思います。

 

参考文献:

鹿島出版会 小原二郎著書「木の文化」

関連リンク

https://www.kagura.co.jp/kagu/works/process.html

https://www.kagura.co.jp/kagu/works/finish.html

 


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