戦前の「集合住宅」の歴史
2020.3.16
目次
「集合住宅」と呼ばれるものは、団地・マンション・アパート・共同住宅と、様々な種類があります。
江戸時代のいわゆる「長屋暮らし」も集合して住む、という一つのかたちかもしれませんが、2階以上積層するような建築で、複数の住戸が同一建物の中に集合して住む形式が、都市に住む中間層に導入されたのは、明治末期から大正時代くらいになります。
その呼称については、住宅がまるで蜂の巣のようだというので、「蜂窩(ほうか)式住宅」または「蜂窟(ほうくつ住居」「共同館」など幾つか出てきます。
しかし結局は、英語をそのままにしたアパートメントハウス、略して「アパート」が新しい集合住宅の代名詞となりました。
今回は主に戦前にどのような設計が考えられていたのかをまとめてみました。
明治時代−三菱の煉瓦造・一丁倫敦
もっとも初期の「非木造」である集合形式の暮らし方は、東京の丸の内に登場しました。
明治時代に入ると、西洋の建築技術と意匠が日本へ持ち込まれます。
明治中期に岩崎彌太郎の三菱合資会社が払い下げを受けたのちに開発を進んだ丸の内。
オフィスだけでなく、賃貸住宅や商店、美術館などの文化施設の構想もありました。
現在はそのレプリカが美術館になっています。
煉瓦造(れんがづくり)の三菱一号館が竣工したのは明治27(1894)年のことです。
その後、二号館・三号館と建設は続き十三号館まで揃って「一丁倫敦(ロンドン)」と呼ばれる西欧風の町並みを造り出すこととなります。
多くがオフィスビルとして建設されますが、そのなかで明治37年(1904年)に竣工した六号館と七号館には、住宅が設計されていました。
積層型ではなく煉瓦造の「棟割長屋形式」(いわゆる長屋形式)でしたが、各棟6戸ずつ、12戸あった各住戸に玄関・台所・バズ・トイレ等を備え、押入のついた畳敷きの部屋や床の間もありました。
当時のビジネスマンの為の職住近接の実現という、現代でも評価されそうな住宅構想でしたが、日露戦争後の好景気にオフィス需要が高まり、住宅としての利用は少ないまま貸オフィスに改装されたそうです。
三菱一号館
大正時代−軍艦島の暮らし
世界で初めて鉄筋コンクリート造の集合住宅が建設されたのは、1902年から翌年にかけてのことでした。
建築家オーギュスト・ペレが,パリのフランクリン街に設計したアパートで、世界最初の事例として建築史の教科書にも載っています。
では日本で最初は?というと、フランクリン街から13年後大正5年(1916年)に長崎県の端島、通称軍艦島で三菱の一連の炭鉱住宅の中に建てられた30号棟が、日本で最初の鉄筋コンクリート造集合住宅でした。
それ以前の軍艦島の住宅は、木造の柱や壁に鉄筋コンクリート造の床スラブという混構造でしたが、30号棟では鉱山の土木技術を応用し、ワイヤーやトロッコレールなどの廃材も鉄筋として利用した鉄筋コンクリート造が実現しています。
7階建で内部は木造の造作の6畳一間、いわゆる「1K」が、145戸詰め込まれた密度の高い空間だったようです。
炭坑の島という限られた面積の中で、高層化し高密度に住まうことが求められた結果の進歩でした。
軍艦島・桟橋
大正末期−西洋風のアパートメント
大正14年(1925年)には,東京は御茶ノ水に純洋風なアパートメントが建設されます。
「御茶ノ水文化アパートメントハウス」は、森本厚吉という法学・経済学の博士が提案し、ウィリアム・メレル・ヴォーリズというアメリカ人が設計しました。
煉瓦造や鉄筋コンクリート造の建物の中で、畳敷きの和風な暮らしを実現しようとしていた日本人でしたが、アメリカ留学を経験した森本博士は、床座ではなく椅子座の生活、共同の給湯や暖房設備、庭園など、家事の効率化を追求し、ヴォーリズに設計を依頼します。
家具も作り付けのものが多く,まるでアメリカのホテルを持ち込んだようなこのアパートには多くの外国人が申し込んだといいます。
いまのJR御茶ノ水駅と水道橋駅の中間あたりで、神田川に面して建っていましたが、昭和61年(1986年)に老朽化により取り壊されました。
関東大震災と同潤会アパート
戦前期の集合住宅、といって東京近辺の方に最も馴染み深いのが「同潤会アパート」でしょう。
震災翌年の大正13年(1924年)、震災義援金を元に内務省の外郭団体として設立されたのが財団法人同潤会です。
震災直後の罹災者のための木造仮住宅の供給から始まり、木造の普通住宅、分譲住宅などを手がけながら、大正14年より着手したのが、鉄筋コンクリート造による集合住宅、「アパートメントハウス」の設計でした。
大正15年(1926年)の中之郷アパートを皮切りに、昭和9年(1934年)竣工の江戸川アパートまで、旧東京市、横浜市内の16ヵ所に建設されています。
2階建から6階建まで、三田や虎ノ門のような1棟のみのものから、渋谷(代官山)の36棟のものまで、それぞれの敷地に合わせた規模で、およそ2,200棟が建設されました。
全て耐震耐火を目指した鉄筋コンクリート造で、水洗トイレも完備した先進的な集合住宅には、世帯向けの間取りの住戸だけでなく、単身者向けの住戸もあり、中には昭和5年(1930年)の大塚女子アパートのような単身女子専用の
集合住宅もありました。
ここまで述べてきたような僅かな先例しかない日本で、同潤会の設計部は海外の建築雑誌や本も取り寄せ、新しい集合住宅の研究に励みました。
各アパートには集会所・浴場・食堂・理髪店などを設けたほか、店舗付きの住棟、児童公園の設置など,住宅だけでない共用施設が数多く設計されました。
大勢のひとびとがアパートで生活し,集合住宅としてのコミュニティを形成するにあたっての共用の「場」の提供があったことは、同潤会アパートの大きな特徴のひとつなのではないでしょうか。
街並みをつくった青山アパート・当時の最高級最先端の江戸川アパート
●青山アパート
青山アパートは、昭和2年(1927年)竣工の鉄筋コンクリート造で、3階建・6号棟まであり、東京都渋谷区の明治神宮への表参道に面した場所に建設されました。
最も初期のアパートメントのひとつですが、大変な人気で同潤会会報によると、入居申し込みは、三年越し位のものが珍しくない有様だったようです。
●江戸川アパート
江戸川アパートは、数ある同潤会によるアパート建設の最後に建設された、いわば集大成の集合住宅でした。
震災復興も進んだ昭和9年(1934年)現在の新宿区新小川町に、6階建(地下1階)1号館と4階建2号館の2棟が中庭を囲む形式で建てられます。
2号館の全部と1号館の1~4階は世帯向けの階段室型の住戸が入り、1号館5・6階には男性単身者向けの個室が中廊下を挟んで並びました。
1号館には地下に共同浴場と理髪室、1階にバーカウンターも設えた食堂、2階には集会室が設計され、緑豊かな中庭とともに、住民たちの憩いの場となりました。
それまでの同潤会アパートの住戸内装は、ほとんどがコルク敷きかその上に畳を模した薄縁敷きをして長押を付けるというような形ばかりの洋式か和式か、という感じであったものが、江戸川アパートでは初めて全室洋室の住戸が設計され、派手な壁紙が用いられ、和室でも本畳が敷かれ、欄間や明障子の意匠など、そのデザイン水準はそれまでに無い高さでした。
表参道・旧同潤会アパート
そして、民間のアパート
同潤会アパートの成功によって昭和初期に、東京における民間集合住宅の建設量は増加し、アパートメントブームが起きました。
現在まで残っているものはごくわずかですが、そのうち東京にある2つを紹介しましょう。
銀座1丁目に建つ奥野ビルは、かつては「銀座アパートメント」と呼ばれていました。
昭和7年(1932年)に第1期が竣工し2年後に第2期工事で完成した7階建の集合住宅です。
トイレとお風呂は共同ですが、銀座の一等地でワンルームの高級アパートとして建てられました。
昭和30年代にオフィスビルへと趣旨替えし、現在は事務所や画廊、アンティークショップなどが入るテナントビルとして経営されています。
各戸の窓に取り付けられた窓台や手動ドアのエレベーターなどに、今も当時の高級感を残します。
現在も現役集合住宅である「清洲寮」も同じような時期に建設されています。
江東区白河に昭和8年(1933年)竣工、「これからは集合住宅の時代が来る!」という建築家の言葉に,材木問屋をしていた先代の大家さんが乗ったそうです。
4階建1棟のみのアパートですが、長らく愛され、手入れされ、時代が追いついて近くに地下鉄も開通し、気付けば80年以上住まわれている長寿集合住宅となっています。
階段室の昔ながらのタイルやスチール製の窓サッシ等を出来るだけ残し、トイレや浴室はリニューアルするなど、時代に合わせた改修がとても上手くいっているアパートです。
昭和12年(1937年)、日中戦争の勃発によって諸々の経済統制が始まると、その年の10月には「鉄鋼工作物築造許可規則」が公布され、鉄筋コンクリート造の建築は造る事が出来なくなります。
戦前の集合住宅で培われた経験が引き継がれるのは、昭和23年(1948年)の東京都営高輪アパートまで空くと言われますが、その後,住宅金融公庫・日本住宅公団・公営住宅による日本の住宅政策の3つの柱による「団地」の量産が日本全国へ広まっていくのです。
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