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テーブルの歴史

2021.12.25

 

 

日本では、聖徳太子が「机」を使っていた絵が残っている事からも、古くからテーブルとしての原型が存在していた事が窺い知れます。

しかし今や私たちの生活の一部となっている、ダイニングテーブルという形態が普及したのはつい最近のことです。

恐らく、戦後まもなく生まれた世代にとって、郷愁を呼ぶ家庭のイメージは卓袱台での食事といえるでしょう。

当時の卓袱台は畳の上での利用を前提とし、円形の天板に折り畳みができる脚をそなえたものが一般的でした。

卓袱台以前に使用されていた「銘々膳」は、今でも旅館での宴会などにその形態を残していますが、一般家庭でみる事はなくなりました。

卓袱台が普及される前の庶民の世帯では、個人個人の食事が膳に盛られており、食器・箸が入った箱が膳になる箱膳(銘々膳)が主流でした。

ダイニングテーブルが一般的に普及し始めたのは、戦後の公団住宅(1950年~)で、ダイニングキッチンが提唱されたことにより使われ始めたと言われています。

 

 

銘々膳の歴史


 

平安時代には中国由来の食卓机が貴族階級でわずかに使用されましたが、中世以降になると机は食膳としては余り使われなくなります。

最初は脚のない折敷(おしき、縁の低い折櫃(おひつ))、今の盆に当たる盤に脚や台がついて多様な銘々膳が発達し、日本人の食膳として主流となったとされています。

16世紀に訪日した南蛮人は、見慣れない日本人の銘々膳の食事について故国に報じています。

渡辺実「日本食生活史」(吉川弘文館、1964年)から引用すると

「彼等は我等の如く悉く一卓にて食することなく、各人約1パルモ半(1パルモは22センチ)の甚だ清潔なる机に着き、美味一切を之に載せ、若し数多くして此机に載する能わざる時は他の小さき机に載せ之を左右に据う」(1565年のパードレ・ガスパル・ビエラがポルトガルのパードレに送った手紙)

「日本人の食膳は常に清潔にして且つ美を尽せり。(中略)食卓は方形にして低き1つの脚ありて1人1卓なり」(クラッセ「日本西教史」)

という記述を見ることができます。

箱膳(銘々膳)は原則として、膳とそこに格納された食器の管理を使用者がおこないます。

食事が済むと食器を湯茶ですすぎ、フキンでぬぐい、箱膳のなかに格納し、自分で膳棚に戻すのです。

食器を洗うのは1ヶ月に2~3日、決まった日に主婦や使用人が一括しておこなっていました。

こうして銘々膳は大正から昭和にかけて卓袱台に移り変わるまで、日本人の食卓として長く続きましたが、衛生思想の普及もあいまって卓袱台が採用されると、徐々に銘々膳を使用する家庭が減っていきました。

 

銘々膳から卓袱台を経てテーブルへ


 

 

卓袱台に移行後、毎回の食事のたびに全員の食器を一括して洗うようになります。

卓袱台は、核家族化していく狭い住居の都市居住者にとって格納に便利であり、またおかずの多様化や毎回食器を洗う必要のある油の多い料理にも対応しているため、社会情勢や食文化の変化と共に普及していったのでしょう。

そして昭和戦前期から戦後の高度経済成長期において全盛であった卓袱台は、1970年代から椅子とテーブルに取って代わります。

一般にテーブルが普及したのは1956年に日本住宅公団が2DKの集合住宅を供給するようになったからだといわれています。

もっとも、それ以前の昭和20年代に農村部において推進された生活改善普及運動において、農家の「台所改善」事業として、農作業との兼ね合いが合理的な土間でのテーブル使用が進んだことも重要な事柄でした。

 

ダイニングテーブルと椅子の登場


 

 

1956年(昭和31年)に日本住宅公団がDK(ダイニング・キッチン)の集合住宅を供給します。

しかし予算の関係で食堂にあたる部屋を作ることが不可能になったため、台所で食事をするスタイルを導入し、「寝食分離」を表現しました。

当時は建築家などの間では、布団を敷くたびに埃の出る場所で食事をするのは不衛生であるとし、この「寝食分離」が強く提唱された時期でもあったようです。

茶の間や卓袱台を否定することになったDKは、強引に都市住宅に持ち込まれたものでしたが、コンクリートの公団住宅に住むことが理想とされた当時の世相に相まって普及していきました。

そしてダイニングテーブルが卓袱台よりも優勢になるのは、1971年(昭和46年)頃。この時、銘々膳は家庭からほとんど姿を消す事となります。

 

食事中の会話と話題


 

 

食事中の会話は、銘々膳の時代は「会話厳禁」。

卓袱台・ダイニングテーブルの時代からは「話しても良い」と、全く正反対のルールに変化しています。

正座とならんで、おしゃべりの作法は家庭内の重要な躾だったようです。

また、銘々膳時代のように会話を「必要なことだけ」に限る家庭が皆無になっている事も特徴的で、「家族がそろって、団欒するとの認識が一般化した」と言えるでしょう。

会話の中身については、銘々膳形式では「仕事のこと」が第一であり、農家や商家などでは家族全員が一つの経営体として組織され、食事の場において、主人(父親)から仕事の段取りが指示されていました。

卓袱台形式の時代には、「仕事のこと」は6割に減少し、「学校のこと」に関する話題が増加します。

家業が中心の家庭から家族中心の家庭へ変化し、特に親が子供を躾ける場、説教する場としても位置付けられました。

ダイニングテーブル・椅子形式になると、家族の事柄だけでなく、ニュース・芸能に関する話題など会話の幅はさらに広がり、ほとんどの家ではテレビを見ながらの食事が当たり前となりました。

 

コミュニケーションツールとしてのテーブル


 

 

今回は、日本のテーブルの移り変わりについて触れましたが、これまでの歴史を振り返っても分かるように、日本におけるテーブルとは、その食文化・社会情勢から家族のコミュニケーションを図る上での重要なツールとなっています。

家族の在り方が変わる時、常にテーブルが共にあったと言えるでしょう。

だからこそ単純な作業台・食事を取るための台ではなく、家族が集まり会話を弾ませるコミュニケーションツールとして、ダイニングテーブル選びをしてみてはいかがでしょうか。

 

家具蔵の無垢材テーブルのある暮らしの事例はこちらから

 

 

 

 


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