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「木の深イイ話」 -山桜について -

2019.2.15

前回は日本人が古代から現在に至るまで持ち続けている、桜への思いや櫻という旧字体に込められた心情などを解説致しましたが、今回は樹そのものの桜、つまり山桜を取り上げてみます。

学名は「Cerasus jamasakura」。

以前は「Prunus jamasakura」と表記され、プラム、すなわちスモモ属の仲間とする傾向にありましたが、最新ではCerasus、サクラ属との表記が多くなっています。

まだ世界的に最終的な決定はありませんが「jamasakura=ヤマザクラ」と日本名で表記されている事は、なんとも嬉しいことですね。

木理はほぼ直通で、気乾比重:0.60。

原産地は、本州、四国、九州に自生し、広域では朝鮮半島にも分布してはいますが、国内外問わず蓄積量は非常に少なくなってしまいました。

日本には10の野生のサクラ属の種があり、毎春にはその美しく可憐な花で私たちを楽しませてくれています。

いずれも落葉性でよく似た葉と花を持っている為、サクラの仲間であることはすぐに判ります。

山桜は大島桜、霞桜、大山桜と共に葉は単鋸葉を混じえ蜜腺は葉柄上にあり、花と葉が同時に開くという特徴を共有しています。

その中で山桜は萼片に鋸葉が無く、花は散房状花序に付く点で霞桜に近いとされています。

ちなみに今の日本を席巻している桜は染井吉野ですが、如何に艶やかな花を咲かせるかという意図で交配された園芸樹で、江戸末期から明治初旬に作り上げられた人工樹です。


染井吉野


山桜

 

国内最古の山桜「狩宿の下馬桜」


「狩宿の下馬桜」は、国内最古の山桜(学名:アカメシロバナヤマザクラ)といわれ、樹齢は800年以上と推測されています。

日本五大桜の1つに数えられ、国の天然記念物に指定されています。
1193年、源頼朝公が富士の巻狩りの際、この桜の前で下馬し、馬を繋ぎ止めたとされることから「駒止の桜」、「狩宿の下馬桜」とも呼ばれるようになったそうです。

かつては樹高35m、幹回り8.5mの巨木であったそうですが、度重なる台風の被害により一時は樹勢が衰えてしまいました。

しかし、地元住民らの懸命な取組みもあって、近年は若芽の成長によって樹勢を盛り返してきています。
単に美しいだけではなく、気品と風格を備え、引き込まれるような魅力が感じられます。

江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜公はこの桜について

「あはれその 駒のみならず 見るひとの 心をつなぐ 山桜かな」

と詠んだそうです。

800年以上もこの地に佇み、移ろいゆく時の中で人々を魅了し続けてきた美しい桜。
この桜をゆっくり眺めながら感慨にふけるのも良いでしょう。

野生の桜は比較的生長が早い樹ですが、その材は堅い部類に入ります。

山桜の材の比重はおよそ0.60。

均質で狂いも少ないうえ、加工性が大変優れています。

そのうえ光沢も美しい為、床の間の飾り柱、天井板、腰板など建築材に利用されてきました。

また、家具、建具、精密機器、楽器、細工物、木型などに使われる他、書物や版画の版木に欠かせない材です。

昔から山桜はケヤキの持つ耐久や強度に匹敵する材として、弥生時代以降針葉樹を基本といて来た日本人の暮らしの中で、数少ない広葉樹材として親しまれてきました。

稲作を日本に持ち込んだ南方系の民族にとって、全く気候感の異なる風土の中で如何に効率よく稲作が出来るかが一つの命題だったに違いありませんが、試行錯誤の末、山桜の開花時期を田植えの一つの目安としました。

これは先住の縄文人たちの知恵を借りての話であって、先人の知恵の貴さを彼らが理解した瞬間だったに違いありません。

次第に彼らは、農事を始める合図として野山に咲き始める山桜を穀霊の宿る花と信じ、満開になる桜を見ては、秋の実りの豊かさを告げる前兆現象として考えてきました。
太古の人々の経験や感謝の念を継承した今に繋がる日本の米文化は、山桜を農事の目安とすることで、発展したと言っても過言ではありません。

今もって多くの稲作農家の方々は、山桜のことを「種まき桜」「田植え桜」などと呼ぶところがあるくらい、生活に不可欠の樹として崇められています。

 

桜と日本人の関係性


日本人にとって山桜の存在は、世界でも類のない程の精神的な繋がりを持って愛し、尊敬できる樹として、現在においても不動の地位を占めていることは疑う人はいないと思います。

古代における春告げの樹、中世における雅の権化、江戸時代の粋な生き方としての象徴、日本を代表する木。

一つの樹を象徴として国民性にまで結び付けてきた国は古今東西見受けられない稀有な現象といえます。

大和魂という言葉があります。

武士道や特攻隊といった印象に結びついてしまいますが、源氏物語では「才」、つまり知識や学問を漢の考え方ではなく、日本独自の国風として行く精神として記しています。

言い換えればエリートたちの実務能力という意味合いではありますが、あくまでこれは男社会の理屈となります。

一方、庶民、特に女性たちにとっての大和魂とは、「情緒を理解する心」の方に重きを置いていました。

つまり、貴族的な豪華絢爛といった嗜好ではなく撫子や菖蒲・杜若といった可憐なものを愛でる心に繋がります。

山桜はもともと庶民・女性が大和魂を感じる最も象徴的な存在だったと窺えます。

人々は山桜の花の可憐さ、人の生死に直結する春告げ、材としての確かな耐久性や精度などを見て、ある神様をその精霊として見出したのです。

それは古事記における神阿多都比売(カムアタツヒメ)、つまり木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)です。

山の神である大山積神(オオヤマツミ)のお嬢さん。

由所正しい家系、絶世の美女であるだけに、どんな男も恋い焦がれる存在です。

 

ある日、天照大神の孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)がサクヤビメを見初めます。

ですが次の日サクヤヒメが妊娠して出産の準備に入ることを告げるのです。

ニニギノミコトは当然疑いを掛けますが、サクヤビメは出口の無い御殿を作り、アマテラスの直系の子供であれば火の中でも無事に生まれる、と告げ御殿に火をつけて火の中で出産をしました。

その3人の子は有名な海幸彦、山幸彦らですが、山幸彦の孫が神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)、つまり初代天皇とされる神武天皇です。

サクヤビメはかつてオオヤマツミから富士山を譲り受けましたが、その上から桜の苗を蒔いたとされています。

彼女の分身である桜はその気性をそのまま反映し、美しく可憐でありながら、内面に燃え滾る芯の強さ、人を欺かない潔癖さ、そして何より母性に満ちています。

日本の象徴である富士山と桜はサクヤビメそのものの精神が宿っているので、その気高い精神が多くの日本人の心を掴んでいるのでしょう。

 

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