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筏師(いかだし)を知る

2017.9.14

古来より、日本では寺社仏閣や城塞は木材を利用して建てられてきました。

奈良や京都の巨大な寺社建築に使われている樹木は、どうやってその場所まで運ばれてきたのでしょうか。

自動車や大きな船などの技術が無い時代、人々はどのように木材を運んでいたのでしょうか。

その答えとなるのが筏師(いかだし)と呼ばれる職人たちです

この筏師という言葉、聞きなれない方も多いでしょう。

日本人と木の文化を知るうえで、一つの重要なキーワードである筏師について、今回は深掘りしていきます。

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筏師の歴史

筏師とは、山で切り出した材木で筏を組み、河川で筏下しをすることによって運搬に従事することを仕事としていた人たちの呼び名です。

筏夫(いかだふ)・筏乗(いかだのり)・筏士(いかだし)とも呼ばれました。

木材を利用するには、河川を使い木材を筏にして運搬する方法が行われていました。

この筏流しは初め、「手山伐り」といって、自分の持ち物である山林の木を伐り、自分で筏に組んで川をくだり、問屋に売却していたものが始まりといわれています。

古代・中世においては、関西の河川交通の要所や、木材の生産地の近くに置かれた材木置き場(材木湊)には木屋と呼ばれる施設が権力者によって作られ、木屋預や木守といった責任者の下に筏師が編成されていました。

中でも特に大量の材木を必要とした寺社は、木屋預や筏師を直接雇用することで安定した材木確保を図り、木屋自身も安定した雇用を得ることで、筏下し以外を含めた河川交通における特権を得ることができました。

 

時代の流れと共に、良質な材木を求める動きは関西の外側へと広がり、新しく生産地となった地方の山林に近い大河川にも筏師は広まっていきました。

しかしながら、増水期や農家の水需要が多い時期には筏師の行動が制約され、江戸時代の寛永年間以後には夏季に筏師が休業する慣例が確立されたため、その時期などには焼畑などの農業や川舟の操作や舟荷扱いなどを手掛けました。

また、副業として酒樽や板、木で作られた様々なものを筏に乗せて都市部まで運び輸送賃などを稼いでいたようです。

 

安土桃山時代に寺社などの権門の保護が失われる一方で、社会の安定に伴って材木の需要が増大すると、筏株(いかだかぶ)と呼ばれる営業権が確立され、「筏乗前」と呼ばれる株仲間へと発展していきました。

材木需要の高さから筏師の活動は活発で、やがて株仲間の廃止とともに「筏師組合」への衣替えも行われたのです。

 

さらに江戸幕府の開府と江戸の街の急激な都市化は木材利用の需要の高まりを呼び続けます。

次第に筏師の中でも資力を蓄えた者が、山林を買って、筏で出材するようになりました。

この時期になると筏師という呼び名は、単に筏に乗って仕事をする人という意味合いではなく、筏組や土場筏師といった木材を扱う元締め、木材業者を指すものと考えられるようになりました。

つまり、筏師は木材業を営む経営者、それに従事して実際に筏に乗り運搬をする職人は「筏乗り」と呼ばれるようになっていきます。

明治維新以降の治水技術の近代化に、昭和以降はトラック輸送の発達やダム建設による河道の堰き止めなどが有り業務が困難となり、戦後には筏師の活動が見られなくなってしまいました。

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筏乗りの修行

筏乗りは18?19歳から修行を始め、一年か一年半ぐらい先輩と同乗して見習い、二年ぐらいで一人前になりました。そして六十歳ぐらいになると大抵が引退していきました。

元締めの筏師に雇われた筏乗りは、杣角(そまかく=山から切り出した材木を、斧で荒削りしただけの角材)や丸太を筏に組み、これに乗って木材問屋か、筏宿へ荷物を引き渡すまでの労働に従事していました。

筏乗りの背中には元締めの印を大きく染めた半纏(はんてん)を着てそろって出かけたので、遠くからでも分かるような目印となっていました。

しかし筏を運んでいる途中で、橋や堤防を壊すこともあり、こうなると目印はかえって邪魔になり、途中で半纏を裏返しに着るのが普通であったようです。

岩場が多く川幅の狭い上流の川では筏を組むのは切り出してすぐには出来ない為、まずはそのまま流し、川幅の広い地域の場所で「筏組み」を行いました。

木材をそのまま流す事を「管(くだ)流し」、筏組をする場所を「土場」と言いました。

 

筏の組み方

日本の筏の組み方は一般的に蛇筏(へびいかだ)と呼ばれていました。

長さ二間(約3.6メートル)余りの筏を組んで一床として、それを七床連結して一乗としました。

実際にはもっと長く連結させたり、それを二列、三列にして流したりすることもあり、そのように組むと連結部が流れに沿って適度に曲がり、蛇が動くように川を下ることが出来たのです。

 

現在の筏師と木の文化

残念ながら現在では木材で筏を組み、河川に流して運搬する筏師の技術は失われつつあります。その失われつつある技術を観光資源として活用している自治体が和歌山県の北山村です。

ここは600年以上前から続いてきた筏師の技術を絶やすことなく後世に伝えていこうとしています。

また、筏師とも密接なかかわりを持つ川並(かわなみ)の角乗(かくのり)なども東京木場で見えることが出来ます。

東京・木場についてはまた後日、こちらのコラムで取り上げようと思いますが、日本人ほど木と密接な関わりを持って暮らしてきた民族は世界中を探しても滅多にいません。

このようなことを後世に伝えていく事、そして木工技術を伝えながら木の家具を作り続けていく事で、少しでも日本の木の文化に貢献することが出来ればと考えています。

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参考文献:

鹿島出版会 小原二郎著書「木の文化」

関連リンク

http://www.kagura.co.jp/kagu/works/material.html

 


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